記憶に残る贈り物

先日机の引き出しの中を整理していたら、手のひらサイズの絵本が数冊、出てきました。遠い昔、祖母が旅行に行った時にどこかで買ってきてくれたものです。中に書かれているのはその場所に由来する昔話。せっかく見つけたので、とても懐かしく読みました。
祖母はこうした細々したものが大好きで、ほかには和紙で作られた女の子の形をした人形や香り袋など、ちょっと古風なものを贈ってくれました。その多くは残念ながらもう残っていないのですが、この絵本は、私自身がよほど大切にしていたのでしょう。ちゃんとボックス入りなのも、子供心に格好いいと思ったんですよね。とても特別な感じがしたからです。
今私のまわりには、親戚や友人知人の子など、結構な人数の子供がいます。時にはプレセントをすることもありますが、その子たちの記憶に残るようなものが贈れているといいなあ、と思いますね。今までは、玩具やぬいぐるみ、お絵かき帳に、色味の多い色鉛筆などをあげてきました。あとは図書カードですね。本当は「これがお勧め!」という作品もあるのですが、それはあくまで私の好みで、本人がどう思うかわからないので、カードに落ち着いています。祖母のように、当たりを送るのは難しいですからね。

習慣づけの強み

子供の頃、母の手伝いをするのが嫌いでした。面倒だったし、上手にできないとやり直さなければいけない場合もあったからです。しかし嫌々ながらも続けているうちに、いつしかそれは習慣になり、ある程度の年齢になった時には、何の苦も感じることがなくなりました。それは私がすべきことであり、言ってしまえば義務のようなものだからです。
その時以来、嫌だけどしなければならないことは、できるだけ頻繁に行って、習慣づけてしまうことを心掛けています。大変だ、面倒くさいなどと思うのは最初だけ。それをするのが当たり前になってしまえば、大成功と言えるでしょう。だって、不満を感じずに行動できるんですよ。得以外のなにものでもありません。
本当は、そんなことはしなくてもいいというのが、一番なのですけれどね。世の中は、必ずしも楽しいこと、幸福なことばかりではありませんから。それは現実だけではなく、どんな創作作品を見ても、わかることです。最悪の状況から一転、幸せなハッピーエンドに至る道筋は、大きな感動を与えてくれるでしょう。これがもし、ずっと平和な道だったならば、それほどの喜びは感じられません。禍福はあざなえる縄の如し、しかし禍はなるべく感じぬよう、頑張っていきたいものです。